4月初旬、母が入院いたしました。
私はここ一年程、長岡赤十字病院に毎月2回程、通院に付き添いをしておりました。
入院から3日後の早朝5時30分に母が危篤ということで、病院から連絡があり駆けつけました。
母は一時心肺停止で、人工呼吸器をつけた状態、あと数日の命であろうと医師から伝えられました。
「父親、母親はいつまでも元気である」
「いつでも、自分たちを見守ってくれている、いつでも愛情を注いでくれる存在」
という思い込みが常にあり、年老いた母親の死という現実を受け入れることが難しく感じました。
非常に悲しく、辛いと感じ、混乱しました。
しかし、数日経つと
「きちんと感謝の気持ちを伝えてきただろうか」
「きちんと恩返しをしてきただろうか」
「お世話になってきた方々にもきちんと感謝をしているだろうか」
「人間は永遠ではない。確実に人間は死ぬものだ。今の瞬間を大切に生きなければならない」
と悲しみから、新しい気持ちに繋がっていくことに気が付きました。
毎日来てくれる社員のみなさんへの感謝、支えてくれる家族への感謝、いつも気にかけていただく顧問先の社長様方への感謝。
毎月の様に食事に連れて行っていただき、いつも助言をいただく社長様。
ことあるごとにお土産をいただくく社長様、季節ごとにお手紙をいただく大学の先生、
ご支援した方からいただく感謝の手紙、品物。
いつも気にかけていただく前職の上司、同僚、友人。
こんなに多くの方々から良くしていただいていること、恵まれていることは本当に「ありがたい」ことであると同時に、
めったに起こらない「有り難い」ことでもあるのだなあ、としみじみ感じたこの4月でありました。
「苦しみや辛さは、愛を理解し深める」
瀬戸内寂聴さんがおっしゃっていたことを少し理解できた思いがしました。感謝。
作成日:2021/04/13
悲しみから見つかる感謝