A氏は、来年で定年退職となります。
複数の会社の執行役員、現在は大手町にある上場企業の常務取締役、要職を歴任してきた方です。
10年ほど前、私は地元大手の小売・流通業企業からオファーを頂きました。
未経験・未知の分野だったのですが「ハイ、よろこんで」と即答いたしました。
「流通業界なんて、経験もないし、さて、どうしようか」と考えていたところ、A氏が「俺の会社を見に来いよ」と助け船を出してくれました。
私が困っていると、共通の古い友人が連絡してくれたのです。
最高のタイミングでご縁をいただきました。私にとって恩人のようなA氏ですが、先日、悩みを聞きました。
A氏は、定年退職後のことを考えると、「自分の人生がとてもつまらない人生だったように感じるんだ」と話し始めました。
「運よく上司に恵まれ、上場企業の役員にはなれた。けれど、何か成し遂げたっていう自信は無い、もっと優れた企業はいくらでもある」
「子どもたちとの時間もある程度持てたし、まあまあ悪くない親だったとは思う。しかし子どもたちへ誇れる自信もない。定年退職後にやりたいことも思いつかない。いや、やりたいことが無い」
まるで自分探しをこじらせた、新人社員のような表情です。
私 :Aさん「何かトキメク、ワクワクするようなことってないのですか?」
A氏:「思いつかないんだよ」
私 :「昔やってみたかったことってなかったですか? 何か無理だと考えて、あきらめたことってないですか?」
A氏:「……」
先月号で、“私は「自分の仕事を通じて」、自分の大切にしている価値観をすべて満たそうと考えています。”と申し上げました。
賛否両論いただきました。しかしこれは、私の考えです。他人からの承認などは求めてはいません。
なぜなら、その対価を私は、十分に払っているからです。
自らの価値観を満たすために、健康など気にせず、馬車馬の様に働き、寝食も忘れて学び、家族もほっといて仕事に出かけました。
何の躊躇もなく他人の批判など気にせず戦ってきたからです。
仮に、人生を4つのファクターにわけるとします。@家族、A価値観、B仕事、C健康。
私は、B仕事とA価値観を満たすために、@家族とC健康を犠牲にして自身の価値観満たすことを手に入れのです。
一番大きな敵は、自分自身です。
何をするにも、「経験がないよ、流通業なんてやったこともないし、もっと小さい会社を担当してからじゃないと無理!」と必ず内なる完璧主義者が批評を始めます。
しかしとりあえず「キラキラしている」「ワクワクする」と感じたらGOです。
走りながら考え、実力をつけていけばよいと思います。
「できない理由を探す、他人や環境のせいにする」、「やらない選択をしているのは自分」このことに気づけば、「他からの承認」などは不要です。
すべての判断は、自分の責任です。ポストが赤いことすら自分の責任です。
他人や環境の責任などではないと覚悟を決めるだけです。
釈迦は「人生で確かなことは、ひとつだけ。いつか死ぬことだ」とも言っています。
つまり「死」以外は何も決まっていない、何とかなるという事です。(?)
もちろん対価(犠牲)を払う必要はあります。対価(犠牲)を払わないフリーランチなどないのです。
A氏は去年の夏、若い頃やりたかったけれど、あきらめていたヨットを始めたそうです。
コロナ禍であることや、危険だからと家族に反対されながらも、始めたそうです。
今は伊豆の海を楽しんでると、神奈川県三崎から素敵な絵葉書を頂きました。