「先生、ちゃんとルールを決めないと、単なる精神論になってしまいますよ。決まっていなければ、できませんよ」当社職員にいつも怒られています。
私の言い訳を聞いてください。「七放、五落、十二達」(しちほう、ごらく、じゅうにたつ)
「挑戦、チャンス」に対して、7割程度固まったら、まずはサイを投げてみる!
そして出た目を見て、次の一手を考え、また行動することにしています。
34歳の誕生日の前日、台風一過のお昼休み。
あんまりに空が青くてすがすがしくって、辞表を書いて提出しました。
35歳までに新しいことに挑戦することをぼんやり考えていましたが、えいやっと踏み出してしまいました。
いつものことと、妻と両親はすんなり受け入れてくれましたが。
これは周りの方から見ると、いい加減に見えるかもしれません。
しかし、準備が100%整ってから始めようと考えていても、100%整うことはまずありません。
「7で放つ」は度胸となりゆきです。そこから実力が試されます。
当初の計画は覆り、状況は悪化、散乱し、実質5割以下レベルまで落ち込み「5落」、出直しを強いられます。
こうした修羅場を辛抱強く抜けてゆくと、やがて広いお花畑を歩いていることに気づきます。
後ろを振り返ってみると、その時には自分の計画していた以上の高みにいることに気づく。
「12達」です。
でもやはり、社員さんから見れば十分にルール整備しないまま行動してしまうのは「いい加減」に見えることも「精神論」であることも十分理解できます。
量子力学には「観測者効果」問題というものが知られています。
デコヒーレンス、量子の非局所性や重ね合わせ状態が崩壊して量子としての動きが失われることです。
そのデコヒーレンスを起こす要素として外からの観測が作用し、それによってデコヒーレンスが起こります。
”観測者効果(Observer Effect)”と呼ばれる現象です。
”誰にも見られてない時は波のように振る舞い、観測者に見られていると粒子のように振る舞う。”
幾つかの仮説があり現在も解明されていないそうです。
シンプルにいうと「人が観察を行うと、実験結果が変わる」という現象。
観察する人によって結果が変わってしまう。
「人の意識が、物質を変える、変化させる」現象であるともいえるそうです。
私は、「精神論」が大好きです。
なぜなら、すべては人の思いから始まると信じているからです。
量子力学を持ち出すまでもなく、自分が思ったことは思った通りになり、思っていないことは、起こっていない。と感じています。
35歳の元旦に「夢リスト」を9項目決めて、手帳に書き記しました。
18年たった現在、9項目の夢リストの内、6つ実現させることができました。
35歳に会社を辞めて、家族を東京におき、一年半新潟に単身赴任していた時期がありました。
自信、実力、実績など何もなく、給料もサラリーマン時代の3分の1以下になり、非常に厳しかったのです。
でも自分の思いが生活に張りを与え、様々な機会が生まれたのだと信じています。
時には自分に非がなくとも、心無い言葉を受けることもあるかと思います。
職場での嫌がらせ、いじめなど大人の世界でも頻発しています。
ネット上での誹謗中書などで命を落としてしまう、痛ましい事件もあります。
心理学者アドラーは、「課題の分離」を説いています。
その選択の結果、責任を最終的に引き受けるのは誰か?
相手が、自分を誹謗中傷する。誹謗中傷するのは、相手の考え方の問題。
それは自分の課題ではなく、相手の課題であると分離することを言っています。
そうすれば、自分の課題ではないので、自分自身を気分を悪くする必要も、傷つく必要もない。
事実や、真実など立場や視点によって変化するものに心を砕く必要はない。
自分自身を気分良くさせておけるのは、「自分の思い」だけという事は真実のようです。
そして、できる限り出来事の意味を自分で良い意味付けにするようにしています。
それは、お金も時間もかからず、「自分」だけでできてしまいます。
自分の思いが良い現実をつくる。
良い精神論は大切ではないかと思います。
もちろん他者への親切な心、感謝される仕事をするなど正しい考え方もこの「精神論」には含まれています。