先日、昔の友人とお茶の水で約20年ぶりに再会しました。
私と彼は、フリーター仲間で、お茶の水周辺で、毎日15名位の仲間と一緒につるんでいました。
彼は現在、投資家として成功し数億の資産を持ち悠々自適の生活を送っています。
20年前の私たちは「志」、「思い」以外、何も持っていなかったように思います。
企業を辞職したとたんお金なし、仕事なし、信用無し、無所属となりました。
「何者」でもなくなってしまったようでした。
今まで企業の看板で仕事をしていただけで、自分の能力、実力などではなかったことを思い知りました。
どの組織にも属さないということは、存在しないのと同じくらい無力であることも知りました。
計画も頓挫し、毎日、毎日一年以上、不安ばかりに苛まれていたはずです。
でもこの夜 私たち、二人の会話に出てくる思い出話は、すべて楽しく、良いことばかりでした。
〆の鰻を食べたあと、一人駅に向かいました。
小川町から緩やかな坂道を歩き、ニコライ堂を過ぎたころ、聖橋が見えてきます。
左手にお茶の水駅、右手に超高層ビル。
約30年前、大学卒業したての私は、かつて日立製作所の本社であったこのビルにいました。
真新しいIDカードを使って、人の流れに遅れないように緊張しながらゲートを通過したことを思い出しました。
もちろん初めての社会人生活は、すべてが新しい体験ばかり。4,000人が働く本社ビルは20階建て。
窓からは、2月には神田明神の美しい梅、春は神田川の満開の桜が見えました。
先輩に厳しく、優しく育てていただいた、良い事柄ばかりが歩きながら思い出されました。
人間の記憶は、良い出来事しか残さない。ピーク・エンドの法則を思い出しました。
人間の記憶は、体験したことの100万の1も残すことが無いと言われています。
ノーベル賞を受賞した心理学者、ダニエル・カーマンが提唱した「ピーク・エンドの法則」ではこう言っています。
「人が何かを体験したときに記憶に残るのは“出来事の一番印象深いところ”と“最後”だけである」
現在の私たちは、日々たくさんの問題・課題を抱えています。
米中貿易摩擦によるコスト増加、新規事業の諸問題、従業員の退職、採用コスト増大による業績悪化。
生産性悪化、営業目標の未達、顧客からのクレーム。
庭の芝育成不良、子供の教育問題、隣家のおばあちゃんの認知症徘徊等々。
しかし、20年後には前述の問題、課題は記憶の隅に追いやられているか全く忘れているでしょう。
20年後には苦労の末、融資も付き、新規事業が大きく成長。利益の柱となり、優秀なスタッフが成長し、庭の芝も青々とし、子どもたちも社会人として独立。
長時間の苦悩、生みの苦しみ、苦労、嫌なできごとなど、その後の「変化する一瞬」によって記憶の箱から追い出されるはず。
思い出は紙芝居、時々懐かしむ程度のもの。
今の課題・問題も、ゲームみたいなもの。
思い悩みすぎ、恐れるすぎる必要はありません。
今この瞬間、一生懸命プレイするのが一番です。
だって最後は、ステージクリアした興奮とゲームコンプリートの喜びしか記憶に残らないはずです。
20年ぶりの友人との思い出話のように。