小学校6年生の夏、「ベイシティローラーズ」のレコードを初めて購入しました。
中学生になってからはブルース・スプリングスティーンに夢中になりました。
「Born To Run」 噴出する感情、反抗心はまるで自分のことを歌にしている様に感じ、すぐにでも家から飛び出していかなくてはと毎日焦げ付くような気持ちで聴いていたのを覚えています。
高校2年の夏、5年間毎日聞いていたブルース・スプリングスティーンと決別することなりました。
「Born In The U.S.A」、ベトナム戦争下では、ベトナム人(イエロー)を殺すための戦争の歌詞を聞くと、なんだか複雑な気持ちとなりました。
アメリカ大好き、なんならアメリカ人になりたいぐらいに憧れていましたが、「俺もイエローだよな」と思ったら、冷めてしまったのです。
その喪失感を埋めるようにシンセサイザーやマルチトラックなどを使い透明感あふれるクリストファー・クロス、ポリス、イエス、カルチャー・クラブなどを聴き漁りました。
その頃、兄のレコードラックにQUEENのアルバム『世界に捧ぐ』 (News Of The World)を見つけ興奮しました。
メンバー4人が、巨大ロボットの手から落下するジャケットを今でもはっきり覚えています。
ブライアン・メイの研ぎ澄まされたギターとフレディの4オクターブ、マルチトラックサウンドが心を掴み、僕の音楽となりました。
結局自分の結婚式の曲に、『世界に捧ぐ』A面1曲目「We Will Rock You」が入りました。
映画「ボヘミアンラプソディ」。イギリスのバンド「QUEEN」フレディ・マーキュリーの自伝的映画を観ました。
おそらく私と同年代の社長さんにとって特別な存在の一人だと思います。
フレディの家系は、イランのゾロアスター教徒出身、インドに渡った歴史を持ちます。
映画のはじめのシーンでインド移民の息子 本名“ファルーク”は、イギリス生活の中で白人から“パキ”と別称で呼ばれ馬鹿にされていました。
華やかな成功に見えても、出生を隠し、本名を隠し、ゲイであることを隠すなど孤独や苦難の連続であっただろうと思います。
本名を捨て、“フレディ”に改名し、ロック音楽界を駆け上ってゆく息子と厳格な父親の距離はどんどん広がっていきました。
成功の裏でメンバーとの確執、結婚生活の破綻、ゲイパートナーとの別れ、孤独のどん底に落ちていく。
しかし1985年にライヴ・エイド出演のオファーを受け、新しいゲイパートナーの“彼”ジム・ハットンとの出会い。
家族のもとに“彼”を紹介する場面がこの映画のすべてだと私は感じます。
厳格なゾロアスター教徒の父親に“彼”を紹介し、家を後にしようとします。
その玄関で、ずっと無言であった父親は息子を抱き寄せ言いました。
「常に正しいことを考え、正しい言葉を使い、正しい行動をしなさい」と。
数十年ぶりに和解したシーンです。
ロックスターの栄光や白人社会で認知され有名人になったことは、表面的な成功でしかなく、この父親との和解こそが彼の人生の成功であったのだと感じたのです。
そしてこの父親の言葉は、私たちの仕事にも大きな勇気を与えてくれます。
会社組織、業界、専門家、仲間(の団体)などの中に入ると、同調圧力や権威(税理士やコンサルタントなどが言っているのだから正しいのだろう)と認知バイアスから合理的な判断ができなくなることはよくあります。
間違った情報から、正しいとわかっている事項に、理解を得られないようなこともあります。
しかし常に自分の頭で考えることを心掛けましょう。
自分の頭で「常に正しいことを考え、正しい言葉を使い、正しい行動」を愚直に続けていくことが遠回りであっても、本当の成功に繋がることは間違いありません。
今ご理解していただけなくとも、プロとして誠実に判断し確信している結果は10年後に必ず出して見せるつもりです。