【テレビ前、ソファーでの家族の日常】
小5長女:「にいに(お兄ちゃん)私の横に足乗せるの止めて」
高3長男:「うっせーなー。おまえが来るずっと前から俺はソファーで横になってたんだよ。少し譲ってやっただけ
ありがたく思え」
小5長女:「ソファーはみんなのものだから当たり前だよ」
高3長男:「おまえだって、俺の領地(のクッション下)に臭い靴下脱ぎっぱなしだろ」
小5長女:「そっちこそ、この前鼻くそをソファーにつけているの見たよ。もう足で攻撃するの止めて、ママに言うよ」
高3長男:「おまえが先に手で叩いたのが悪いだろう。先制攻撃したそっちのせいだよ」
妻:「はいどっちも止め。お互いに謝る。謝らないと、二人とも明日からおやつ抜き!」
毎日繰り返される光景に、きみらはアホなのか。
それとも人類という生きもの全員が、純粋にアホなだけなのか考えてしまう。
10月6日、イスラム組織ハマスがイスラエルに対して攻撃を開始し、数百人が人質として拉致されたと世界中に報道された。
正直にいうと私は、地球の裏側のできごとでしかなく、何十年も続いている小競り合いの中のひとつだろう位に考えていた。
しかし一か月経った今でも激しい戦闘シーン、子どもたちの傷ついた生々しい映像が連日流され続けている。これは小競り合いではなく本物の戦争であったのだ。
先の世界大戦から約80年経過し、グローバル化の21世紀、世界中の国々が経済的サプライチェーンによって高度に結びつき支え合いながら、豊かで成熟した資本主義社会を実現してきていた。
現代において戦争なんか起きないだろうと誰もが考えていたはずではないだろうか。
まあ少しの小競り合いくらいは無くならないにしても、20世紀のように大規模な戦争でドンパチなんてことは、少なくとも先進国の間には無いだろうと考えてたはずだ。
しかし、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻。
先進国(特にロシアは国連の常任理事国)による戦争行為が始まり、多くの民間人の死傷者を出し、100年前と同じように凄惨な戦いが行われてしまっている。
我々は本当に何も学ばず、“アホ”な存在であったのか?
日曜朝のテレビ番組『サンデーモーニング』で、息子さんをハマスに殺害されたイスラエル人のご両親への取材の様子が流された。
そのご両親は目を腫らしながらこのように話していた。
「私と妻はとても大きな痛みを受け、本当はとても話ができる状況ではない。
しかし、日本からの取材だから応じることにした。
なぜなら、日本人は戦争の憎しみ、悲しみを乗り超えることができた唯一の民族だからだ。
日本はかつて原爆で20万人の国民、家族、親戚、隣人を一瞬で虐殺されてしまった。
大きな悲しみ、怒り、憤りを持ったに違いない。
しかし今ではアメリカを許し、理解しあい、よき同盟国となっている。
私たちに、この戦いの憎しみを乗り越える方法を教えて欲しい。
過去の悲しい歴史を許しあう方法を教えて欲しい。
私達はお互いを許し合い、理解し、少しでも良い社会になるように生きていきたい」
涙ながらに語ったこの両親の言葉が、私の心を揺さぶった。
そうか、日本人は起こってしまったことに対して「過去を許し、水に流す」ことができる文化を持っていたのだなあ。
気にしたことは無かったけれど、素晴らしいことだ。
2000年前から国を持たず迫害を受けてきた民と約80年間土地を奪われた民の間に生じた憎しみ。
そう簡単ではないだろうと思う。
でも解決方法はひとつしかない。「お互いを許し、水に流す」こと。
それが正しい方法なのか間違っているのかはわからないけれど。
リセットできなければ、未来に進んで行くことは難しいのではないだろうか。
過去は変えることはできない、変えることができるのは未来だけだ。
小5長女:「にいに、ゴメンね。このカードあげる。ポケカしよ」
高3長男:「おぅ、わかればいい。許してやる。このカードじゃなくて、こっちのカードもらうわ」
小5長女:「止めてよ、そのカードは一番大切なカードだから絶対ダメ……ママー、クソにいににカード取られた。
うぇーん」
やはりきみたちはアホな人類を代表し、輪をかけてアホなようだ。
今日から我が家の家訓に「お互いを許し、水に流す」を入れることにしよう。