小6娘:「パパさん、夢に亡くなったおじいちゃんとおばあちゃんが出てきたよ。少し寂しそうな顔で庭に立ってた」
私 :「きみがおじいちゃん、おばあちゃんのお葬式の後、ちゃんと手を合わせてお参りしてくれないから怒ってい
るんじゃないの」
小6娘:「パパさん、どうしたらいい?」
私 :「毎朝、仏壇にお茶を上げること。おじいちゃん、おばあちゃんに“おはよう、行ってきます”って挨拶してか
ら学校に行くこと。そうすれば大丈夫」
湯田上温泉の顧問先様―社長室に訪問すると、社長の座右の銘が壁にかけてあります。
「お金を残すは《下》、商売を残すは《中》、人を残すは《上》」
経営の神と呼ばれた、松下幸之助さんの経営に関する格言だそうです。
松下幸之助翁のこの言葉は「お金は使うことで生きるもの、残しても使うことがなければ紙屑。
商売は世の中に必要とされれば続き、必要とされなくなればなくなるもの。
会社の仕事を通じて優秀な社員をたくさん育成すること」が大切と言っているように思われます。
しかし、ひねくれものの私は、もっと違う意味で「人を残す」ということを言っていたのではないかと秘かに思っています。
歴史の教科書でお馴染みの「聖徳太子」は、近年の研究から、実在した「厩戸王」をモデルに作られた想像上の人物であることがわかり、教科書から姿を消しています。
「生後2か月で言葉を話し」、「10人の話を同時に聞き」、「憲法十七条制定」、「仏教興隆」、「国史編纂」など、政権にとって都合の良いスーパーマンとして創作された人物だったのです。
それでも昭和レトロな私の脳内では、一万円札の聖徳太子は実在の人物であり、同期と一緒に初任給の中の「数人の彼」を握りしめ、歌舞伎町に出陣した時の記憶として、鮮明に生き続けています。
一方、6,600万年前に絶滅した恐竜の中には化石が見つかっていない、誰も知らない「未発見の恐竜」もいるでしょう。
誰も知らないその恐竜は存在していたといえるのでしょうか。それは存在していないのと同じであると思います。
極論すれば「情報=存在」ということです。
私たちの生殖活動もDNAデータを未来に伝える行為―「種の保存」であり、「情報」が「存在や生命」を伝達していることがわかります。
2018年に初音ミクさん(バーチャルシンガー)と結婚し、夫婦として暮らしている男性がいます。
近藤顕彦さん(41歳)です。ご存じの通り「初音ミク」さんは、ボカロのキャラクター。
「バーチャルと結婚なんて、そんなアホな。もてないオタクが現実逃避か?」と最初は思いました。
しかし、例えば100年後、200年後の未来から見ると、「初音ミクも彼(近藤さん)」も両者ともに「情報」としてしか世界に存在していないはずです。
数百年単位の長期スパンで考えれば、タンパク質の身体を持っていようが無かろうが、子孫がいようがいまいが、実質的には「情報」を残すことに収斂されてしまうのです。
平成元年(1989年)松下幸之助翁は享年94歳で他界しました。
経営という自己表現を通じて自分自身を「情報」として、人々の脳内に残しました。
「経営の神」として世の中に存在し続けることとなったのです。
「人を残す」とは社員のことではなく自分自身であったのではないでしょうか。
「人=情報」を永遠に残すことに成功し、「( ̄― ̄)ニヤリ」とされているはずです。
少年漫画『ONE PIECE』の16巻で、Dr.ヒルルクはこう言っています。
国王の軍隊に鉄砲を向けられた絶体絶命の場面で……。
「やめておけ お前らにゃおれは殺せねェよ。人はいつ死ぬと思う……?」
「心臓を銃で撃ち抜かれた時……違う」
「不治の病に侵された時……違う」
「猛毒のキノコのスープを飲んだ時……違う‼」
「……人に忘れられた時さ」
自分もぜひ「人=情報」を残したい、と思っていらっしゃる経営者のみなさま。
なかなか「経営の神」になるのは困難です、いやおそらくなれません。
でも少し私の真似をしてみてください。そうです。
「ご先祖様へ、朝の挨拶と一杯のお茶」を忘れないことです。
その背中を見て育つ子どもたちがきっと同じ習慣を続けてくれるはずです。
亡くなってから、孫の夢に不満げな表情で出る必要はありません。
そうなれば私たちの「情報」は、しばらくは安泰なはずです。