(小6娘の夏休み工作「手作りプラネタリウム」を見ながら)
小6娘:「パパ、宇宙っていつできたか知っている?」
私:「宇宙の誕生? わからないな? なんか、ビッグマックみたいな名前のやつでしょ」
小6娘:「パパ違うよ、ビッグバンだよ。138億年前にビッグバンっていう爆発が起こって、宇宙 は誕生したん
だよ。今もどんどん大きくなっているんだって」
私:「宇宙って永遠に大きくなり続けるってこと?」
小6娘:「ちがうよ、永遠なものなんてないよ。地球は45億年後に太陽に飲み込まれてなくなっちゃうし、宇
宙も150億年後にしぼみ始めてなくなっちゃうんだよ。人間も動物も全部死んじゃうんだよ。家族も
小梅(我が家の駄犬)も学校も全部なくなっちゃうんだよ。だから、たいていのことは大丈夫なん
だよ」
沈着冷静に言った小6娘にハッとした。
(たいていのことって何のこと? 学校でなにかあったの? それとも、昨晩の夫婦げんかのこと?)
先日、若者気候訴訟についてニュースで取り上げられていた。「地球温暖化による気候変動で若者の権利が侵害されている。10代から20代の若者たちが火力発電事業者に対し、名古屋地方裁判所に提訴した」とのこと。それを聞いてスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんの国連でのスピーチを思い出した。
「大人は空っぽの言葉で私の夢や私の子ども時代を奪ったのです 。大量絶滅が始まり、自然が死にかけています。おとぎ話のように経済成長のことばかり話す、若者を欺く、邪悪な大人たちを絶対に許さない」(国連グレタ・トゥーンベリのスピーチより)
自分の考えや主義を主張するのは大切なことだ。
しかし物事は2元的ではなく多面的。上記の両者とも気候問題は「子どもたちの人権問題」であるという。
「2020年に生まれた子どもたちは将来、1960年生まれの父母世代に比べて自然災害を4倍から最大で7倍多く経験する」。
つまり気候危機が子ども世代の権利を脅かしている、大人VS子どもというわけ。
なんだか正しいことを言っているようだけれどもアホな主張に聞こえる。
スポーティな車体だけれどめちゃ遅いスポーツカーのような「張りぼて」的主張。
世の中の出来事は多面体で、彼らが言わない(言えない?)事実がかなりある。
・2020年生まれの子ども世代は、医療の発達により5歳未満死亡率は38%、ここ30年で、60%以上死亡率が低下している。(出典:世界こども白書2023年)
・1800年は世界人口の85%が極度の貧困状態。2017年で極度の貧困は世界人口の9%まで減少。ここ20年間では、半分に減り約3億人の人が貧困から脱出した。(出典:lpsos MORI[1])
ここ20年間の男女の教育格差減少、天災事変による死者数の減少など、世の中は、事実として確実に良くなっている。
2020年生まれの子どもたちが享受している豊かな生活(社会インフラ、社会制度)は我々のご先祖様、祖父母、両親、そして私たち世代が連綿と努力してきた蓄積の上に成り立っている。
その上に彼ら「子ども世代の生活」がある。
彼らに「張りぼて」臭がプンプンするのは、誰かの汗と努力で生み出されてきた物を、当然の権利と主張するからだろうか。
私たち大人は、この豊かな社会インフラの維持、発展、更なるイノベーションを目指し行動している。豊かな社会に暮らすことを選択し、責任も覚悟している。
それは資本主義と民主主義だからである。岸●首相のようなDQNが総理大臣になっても、アピタで自爆テロをしたり、会社で銃を乱射したりしない。
友人と悪酔いし「次の選挙は●×党に投票するぞ」とキャバクラで羽目をはずすくらいだ。
自分が正しくて、他人が悪いという発想がダサい。
そもそもいつまでも生きるつもりなのだ、人類だけは永遠だなんて思っていること自体が傲慢だ。
頭のいい政治家、環境活動家、誰も言わないから言わせていただく。
気候変動問題は簡単に解決できる。それは「人類が絶滅」してしまうことだ。
それは温暖化の原因が「人類の活動」であるからだ。
他人のことをとやかく言うよりも、「化繊でできたユニクロの洋服、携帯電話や靴を全部捨て、藁の腰蓑を付け 徒歩で学校に行く生活」を実践してみたらもっとCO²削減に貢献できるはずだ。
地球も宇宙も有限だ。45億年後には地球はなくなる。
人類が絶滅することも当然の事象であろう。
生活に感謝し、人様に少し感謝される仕事をして、最後はゼロで死ぬ。
それで十分ではないだろうか。
宇宙にとって人類など「ホコリ」、いや、「ちり」でしかない。
我が家の小6娘の言う通り「たいていのことは大丈夫」のような気がする。
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