私: 「はーい、家族全員集合!」
奥様: 「何、何。お小遣いもらえるの?」
長男・中一長女: 「お小遣いください。お父様。ワン、ワン」
私: 「こづかいではなく、私が生きている内に、みんなに財産を分け与えることにします」
妻: 「なんで今? まさか家族を捨てるつもり? それとも死んじゃうの?」
中一長女: 「やったー。ラッキー。推しグッズ買ってもいいの?」
大学2年長男: 「俺は、PlayStation 5 Proだな」
大学生の長男が夏休みに帰省した折、家族全員を前に資産分与について話をしました。
年内に妻・長男・長女へ金融資産を各人の名義の通帳に分ける、
さらには使い道や使い方のルール、考えを伝えたのです。
お金を「いつ」「どのように使うか」は、人生の質を大きく左右する問題だと強く実感しているからです。
そして最近の自分は、人生の最終コーナーを曲がり「人生の最後、死について」よく考えています。
決して希死念慮があるというわけではなく、「より良く生きるために、死について考える」という感覚なのです。
そして死の存在を身近に感じ始め、いつ私が亡くなっても家族が困らないようしたかったのです。
大学4年の夏、父から50万円を借り、7か月ほど中南米を旅しました。
ちょうど湾岸戦争が始まり、多くの同級生たちが卒業旅行を中止する中、
両親には「危険すぎるから止めなさい」と諭されました。
しかしリスクテイクした実際の旅は、戦争やテロの緊張感を超えて圧倒的な体験を与えてくれました。
それは中年となった今も私を形作る「体験資産」というべきものであり、
あらゆる局面で力強く「配当」を生み出していると感じます。
仮に今の私が、父に借りた50万円の10倍の500万円を投じても、
当時の旅の鮮烈な体験を再現することは不可能でしょう。
年齢を重ねるにつれ「お金では買えない体験」が増えてゆくのです。
年を取るにつれて健康や情熱は緩やかに衰えてゆき、お金の価値は減ってゆくのです。
私は58歳で、両親から遺産を相続しました。
正直に言えば、
25年前の開業当初、資金がなく銀行(けんしんさん、今は貸してくれます)から融資を断られたあの時に!
このお金があれば、今の100倍の価値を発揮したはずです。
その経験から、子どもたちには人生においてお金の価値が最も高い時期にリスクを取り、
挑戦できるよう生前に資金を渡す決心をしました。
偉い学者や政治家の方々は
真面目な顔で「NISAやiDeCO、年金で将来の準備」のことばかり話します。
みんなが言わないので不肖 齋藤が言わせていただきます。
「中高年よ! 臨終のベッドの上で延命治療にお金を使うくらいなら、お金の価値があるうちにすべて使ってしまえ」。
そして若者よ「NISAやiDeCO、年金などクソくらえだ! 借金してでも旅に出ろ!」
おしまい
(ちなみに私が行った分与方法は、贈与となり申告が必要です。詳しくは顧問税理士の先生にご相談ください)