
中小企業の社長をやっていると、妙な確信が芽生える時期がある。
「ここまで来たのは、全部自分の実力だ」と。
もちろん、相当な努力はしている。
営業、労務、人事、採用、クレーム対応、
時にはトイレ掃除、問題社員対応、優秀な社員の退職で眠れない夜もある。
資金繰りや新規商材開発に追われながら、「来月は何とかなる」と自分に言い聞かせる日々。
だが、業績が少し上向いた瞬間、
人は簡単に「これは自分の意思決定が正しかったからだ」と思ってしまう。
――ここで、金融機関担当者も優秀なコンサルも、
絶対に言わないので、不肖 齋藤が言わせていただく。
「あなたは社長です。しかし、経営でコントロールできることは、ほとんどありません」 と。
どれだけ精緻な経営計画を立てても、現実はそんなに甘くない。
ロシア・ウクライナ戦争、イラン情勢、資源価格の高騰、為替の急変――
いわゆるブラック・スワンは、こちらの都合などお構いなしにやってくる。
取引先は突然倒れ、気まぐれに顧問先は去ってゆき、
期待していた社員は三日坊主、社長がいなければ朝礼すらスキップする。
そう、私たち経営者は、思っているほど何もコントロールできていないのある。
それでも人は、「謎の万能感」に陥る時期がある。(*私の場合は40代でした。)
多少うまくいく。地域で名前が売れる。役職が増える。銀行が持ち上げる。
すると、「自分はできる経営者だ」という物語が完成してしまう。
しかし経済学の視点で見ると、この認識はかなり危うい。
企業の成長率は、統計的にかなりランダムな振る舞いをする(いわゆるジブラットの法則)。
企業規模や業種に関係なく、成長は確率的に揺らぐものなのだ。
企業の生存率を見ると、新規企業の約半数は数年で消える。
明確な能力差ではなく「分布の中の結果」に過ぎないという現実なのだ。
成功企業は“上振れしたサンプル”。倒産企業は“下振れしたサンプル”。
考えてみれば当然だ。
経営とは、自分でコントロールできない変動要素の集合体だから。
為替、金利、人材、取引先、政策、顧客の気まぐれ。
成長も成功も失敗も倒産も、ほんの僅かな差で分岐していく。
かなり乱暴に言えば、
「たまたまこの時代、この場所、この親から生まれた」ことと、同じくらいの偶然性に依存しているのだ。
都内にカッコいいアンテナショップを新設、業界の会議で自分の案が通る。
大きな銀行がゴマをすり、社員が「社長のおかげです」と言う。
こうして運と偶然が、「自分の実力」に変換されていく。
そして極めつけが、創業〇周年の自費出版だ。
『どん底からの挑戦』『信念が未来を切り開く』――だいたいこのあたりのタイトルになる。
しかし冷静に読めば、
「その時銀行が貸さなかったら? 終わってませんか」 という場面がいくつも出てくる。
内容は「たまたま死ななかった話」なのだ。
(*もちろん、例示の「自伝本」は、当社顧問先様から頂いた本ではございません。悪しからず)
中小企業社長あるあるとしては、
「1.うまくいったのは自分の戦略、2.失敗したのは外部環境、3.社員のミスは本人の資質」
ドリフのコントのよう。
だが現実は違う。
社員が踏ん張り、取引先が発注し、銀行が融資し、家族が支えた結果なのだ。
もちろん社長の並外れた努力、忍耐、行動があった上であることは当然だ。
先日、ある社長がこう言っていた。
「うちは全部、私の判断でここまで来たんですよ」。
その直後、奥様が一言。
「その前の年は、真逆のこと言ってたけどね」。
社長は一瞬止まり、こう言った。
「それも含めて、オレの戦略だ」――。
結局のところ、
経営者とは、世界の不確実性と制御不能な社員を相手に、暗闇を歩き続ける職業である。
セルフマインドコントロールによって、自分の形を保つ。
そして今日もまた、両肩に大きなストレス、顔には大きなシミと深い皺。
運と偶然に支えられながら、我々は胸を張ってこう言うのだ。
「これは全部、自分の実力だ」と。









